2018-02-05
エッセイ。「家づくりの転換期。訪日外国人と出国日本人。」
家づくりにおいて「大きな道しるべ」になりたいと思う。
経済的、物質的な満足度のものさしから、少し離れたものさしで考える家づくりを。
それが、豊かな家族、豊かな地元、そして豊かな日本の未来を作ると信じて。
この本文の内容は特に、
「これから家を考える僕と同世代以下(30代以下)」に当てて書きたいと思う。
日本は今、大きな価値観の転換期にきている。
東京オリンピックが控えていることもあり、
ここ数年「世界を」「日本を」紹介するテレビ番組が急増している。
上の表が示すとおり、
訪日外国人の数は2011年頃から年々1.2~1.4倍ほどのペースで増えてきている。
面白いのが、出国日本人の数は変わらず横ばいだということ。
これは「状況の変化」に対して「変化への対応」に時差が生じているということを示している。
(端的に言えば、世界的な状況の変化に日本人の行動が遅れているということ。)
これから、海外の人の様々な価値観、生活様式、文化などが海外から来る観光客とともに、その観光客向けのビジネスが増えていくと共に浸透していく。
それらがある程度浸透したのち、出国日本人数も増えていく。
そして、海外の価値観を体感し、「幸せのものさし」が変化していく。
物質的な豊かさを重視するものさしから、精神的な豊かさを大切にするものさしへ。
「社会(まわり)と比べる幸せ」から、
「個人の絶対的な幸せ」に変わっていくと言ってもいい。
「人からどう思われるのか、思われたいのか。」
ではなく、
「自分にとっての幸せ」
を大切にする世の中へいずれ日本も変わっていく。
ただ、世界の変化に比べると日本の変化は遅い。
(島国、単一民族の弊害。)
今の中国を見ると思うことがある。
「アメリカや欧州は、1980年代の日本を見てこういう感情を抱いていたのかな。」と。
人口を武器に経済成長する。
それは、極端に言えばどの国でもいつかは起きる。
大切なのは『その先』なんだろう。
アメリカはあれこれしながら世界の経済の中心で居続けている。
それはそれでとても素晴らしくありがたいことだ。
(アメリカにとっても世界にとっても。※経済的な話)
(しかしもはや「国」ではないのかもしれないとも思う。)
かたや、北欧などでは『経済的な発展の先』を見つけられているように思う。
『自然や家族との幸福な暮らし』を第一に考える。
それが叶えられる国のシステムが整備されている。
そのシステムを作れた理由は「まず国民がそのシステムを願ったから。」
日本は今はその前のステージ。
「国民が自分たちの幸せをどう絵描きたいのか。」
それをみつけるステージ。
それがみつからなければ国のシステムは変わりようがない。
(一部の人が絵描いても「絵に描いたモチ」になってしまう。)
少し違うかもしれないが「プレミアムフライデー」もまさに「絵に描いたモチ」だろう。
僕はそういう取り組みはとても良いことだと思う。トライに対しては大賛成。
しかし、国民の価値観が「なぜそれをするのかを理解できていない。」
なんのために休みをとるのか。
経済のためなのか。家族と過ごすなど一人ひとりのQOLの向上のためなのか。
はっきり言うと、国民が個人でその目的を絵描ける力はまだ日本人には備わっていないように思う。
日本人にはまだ「国民が一丸となって進むべきスローガン、大義」のようなものがないといけない。
みんなが一致団結して一歩を踏み出せるような大きな目的、土壌(ムード)がないと日本人は動けない。
(東日本大震災復興・東京オリンピックなど)
別にそれを悲観したいわけではない。
なにが言いたいのか要点をまとめると、
「まわりの人に流されて、既存の価値観に流されて、なんとなく家を建てていては、将来の幸せに結びつかない時代、状況に変わってきている。」
「自分や家族のために、もっと個人の価値観・幸福感を真剣に長期的なスパンで考えなおすことが必要になってきている。」
ということ。
国とか大きな話を持ち出したのは、家が30~60年ととても長いスパンで影響を持つため。
(家ではなく「住宅ローン」と言い換えてもいい。)
そして、これから30~60年の間に日本を取り巻く状況は想像できないほど大きく変わる。
それは経済も価値観も。
端的に言えば、
収入や日本経済は頭打ちになっていく中で、日本人は「なにに次の幸せを感じていくのか。」を個人が探し、答えを出していかなければならない。
収入の量はある程度しょうがない。
日本の状況を考えある程度「受け入れる」という姿勢も大事だろう。
もちろん人と比べてもしょうがない。
しかし「支出」の量は調整できる。
将来をある程度だが予測、計算することもできる。
避けたいのは、
「現時点での価値観で家を建てたが、何十年後かに価値観が変わった。しかしローンもあり、価値観にそぐわない家に暮らし続けなければならない。」ということ。
言い換えれば、
「収入は減り、物価は上がり、物より体験にお金を使いたいのに、借りすぎた住宅ローンで身動きがとれず幸せを感じられない。」ということ。
(これは「最悪」を想定した場合ですが、該当する人は少なくないのではないでしょうか。)
(前置きが長くなりすぎました。)
そのなかで『家づくりをもう一度見直す。』
新築に無理にこだわらない、広さも必要以上に求めない、
「子育て中の今」だけではなく、「30~60年後」までを見通した家づくりを。
僕はこれまで『旅』にはお金も時間もたくさんかけてきた。
住宅設計と同じくらい大切にしたいものが『旅』だ。
世界を旅していろいろな価値観・幸福感を体験してきた僕にだからこそできる視線、提案を。
「家、暮らしはどうあるべきか。」
「時代、幸福感はどう変わるのか。」
複雑なことほどシンプルに考えればいい。
『必要十分。』
エスネルのEに込めた「Enouth(十分な)」のとおり。
その必要十分とはなんなのか、どこまでなのか、を設計士は悩み考え提案する。
そして住まい手の価値観と融合させ『家』という形に仕上げる。
設計士には、間取りを考える力などの技術の前に、
『体験』、『思想』、『予測力』
などの基本的な能力が必要だと考えている。
もちろん僕も至らないことはたくさんあるが、日々悩み体験し考えを深めていきたいと思っている。
『建て主にとって本当に幸せな家(暮らし)とはなんなのか。』
建て主が自分自身でも気がついてないところまで掘り下げて話し、提案することを心がけていきたい。
建て主家族のため。ひいては日本の未来のために。
それを常に意識し精進していこう。
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