ゆうです^^
近代建築の巨匠
フランク・ロイド・ライトの建築群が世界遺産になることが決まりましたね。
旅中のライト建築との大きな思い出が蘇ってきます。
僕の一番好きな建築家はライトかもしれません。
(建築だけでなく、人柄、功績、思い出などトータルで)
ライトは建築界のスーパースターでした♪
7日のユネスコの世界遺産委員会でフランク・ロイド・ライトの建築群の世界文化遺産登録が決まりました^^
登録されたのは「グッゲンハイム美術館」や「落水荘」など米国にある8件。
推薦書には将来の追加登録候補として、兵庫県芦屋市の「山邑家住宅」なども挙げられています。
ライトは、自然との調和を重視した「有機的建築」を提唱していました。
(オーガニックアーキテクチャー)
ライトが活躍した20世紀は、工業化近代化の時代。
(鉄とRC建築が進化した時代)
その時代の中、ライトの「有機的建築」は一際輝きを放っていました。
グッゲンハイム美術館。(NY.2012.11)
(→世界遺産)
螺旋スロープの館内。
どの文脈にも載らないまさに天才の所業、、
入ったときの大きな感動が今も懐かしく思い出される。
また、ライトは親日家としても知られており、日本の「帝国ホテル」(旧館)など日本にも多くの作品を残しています。
愛知県「明治村」に移設された帝国ホテルの玄関。2014.10。
玄関だけでも残してくれて大変感謝!!
(「明治村」の中でこの建物のみ昭和期のもの。)
また、ライトは人並みはずれた伊達男?でした。
流した浮名は数知れず、
使用人の発狂、殺害被害、不倫、、
冷遇からの落水荘での大復活。
公私共にまさに「波乱に満ちた」人生を送った人。
そういった意味でも超えられないスーパースターなのかもしれません。
ウィキペディアを眺めているだけでもとても面白いです^^
フランク・ロイド・ライト - Wikipedia
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旅中のライトとの思い出を少しご紹介。
(本当はひとつひとつじっくりとまとめたいのですが時間が、、(T_T))
まずは大本命から!
Fallingwater:落水荘。
(ピッツバーグ.1936)
(→世界遺産)
滝の上に建つ住宅。
建築に馴染みのない方でも一度は見たことがあるかもしれません。
ライトの晩年の傑作で、ライトの一番有名な建築です。
(もしかすると世界で一番有名な住宅かも)
大学一年生の初めての課題が落水荘のスケッチだったのが懐かしい。
大学時代から数年ぶりに書いた落水荘。
言葉では言い表せない感動があった。
モダンであり、自然。
二律背反を見事に融合させた建築はライトならでは。
ライトは日本の「浮世絵」の収蔵なども熱心に行っていた。
日本人の感性に馴染みやすいのは、ライトもまた日本に憧れを抱いていたからなのかもしれない。
落水荘プラン。
(中村好文さんの「住宅巡礼」から写し)
とても複雑で難解な構成。
だからこそ深みが出るのかもしれない。
見学した日はたまたま僕の誕生日でした^^
そんなことも思い出深い。
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続いて、、
(ここからはサクサクと)
ケンタックノブ(ヘーガン邸)。
水平横長のラインが強調(プレーリースタイル)された外観。
雪どけの時期で軒先から滴る水が綺麗だった。
落水荘からほど近い山の中にあり、セットで見学することが出来る。
ライトは「有機的」であることと同時に「幾何学的」であることも追い求めていた。
ライトの建築には幾何学パターンで構成されたマヤの遺跡のような建築も数々ある。
六角形のモチーフは建物のプランにまで徹底されている。
岩がくり抜かれたような窓。
ガラスの存在感が無くなり、外と中が連続する。
内部で体験した感動は忘れられない。
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ロビー邸。
(シカゴ.1910)
(→世界遺産)
水平を強調したプレーリースタイルの代表作。
水平への強調は日本の建築からの影響とも言われている。
幾何学モチーフはここにも。
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ライト自邸+スタジオ。
(シカゴ.1889)
自宅を実験台とした様々な建築アイデアの模索が伺える。
ライトデザインの照明。
ライトの照明は有名なものが多く、高級ホテルなどに今も色褪せず飾られている。
知名度の高い「TALIESIN 3」。
グッゲンハイム美術館につながるものを感じた。
ちなみに、ライトは長らくこの家に住んでいたが、1909年に施主奥様と不倫関係になり、妻と子供たちを捨てヨーロッパへ駆け落ちし、この家に戻ることはなかったんだそう、、
ライトがいろいろとすごい人であったことが分かる部分。
(表現に苦しむ、、)
シカゴの「オークパーク(高級住宅街)」では、他にもライトの建築を多々見つけることが出来る。
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ユニティ・テンプル。
(シカゴ.1905)
(→世界遺産)
ライト初の公共建築であり、初のRC造の建築。
設計に当たり、日本建築が参考にされたと言われている。
日光東照宮のプランとの類似が指摘されていたり、設計前にライトが来日していたこと、1893年のシカゴ万博の日本館鳳凰殿から影響を受けていたなど。
(本人は日本建築からの影響を否定している)
ライト自著の自伝によると日本建築について
「最高の排除の習作である」
と語られており、水平が強調されたプレーリースタイルは、日本建築が基になった可能性も伺える。
僕も旅をしていて感じたことがある。
「日本建築はすでに最高にモダンだった。」
ということ。
「モダン(近代建築)」とは、簡単に言うと、
「壁を排除して、柱と梁によって、自由な平面・立面・開口を実現すること。」
ヨーロッパは長らく「壁」建築の文化だった。
それが近代化により、鉄やRCなどで「柱」を作り出し、モダンへとつながっていった。
その過程で
「海外の建築家が日本建築を参考にした」
という話は良く聞かれる。
日本の建築は昔から、正に「柱」により自由な平面・開口部を実現していたから。
そんなことを海外の建築家から感じ、日本人であることが誇らしく感じられたことを思い出す。
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長くなってきたのでまた次回に続きます^^
(サクッと書くつもりでいたけどまだまだある、、、)
度々思い出しますが、世界一周の旅は本当に一生の財産です。
-「超高断熱の小さな木の家」escnel design-
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エスネルデザイン代表
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