ゆうです。
1月17日は僕にとって思い入れのある日です。
1月17日は『住宅設計のプロフェッショナルになる』と誓った日。
毎年、初心を思い出す日です。
決意したのは、今から8年前の2012年1月17日。
相方と一緒に世界一周の旅に出て1ヶ月が経った頃でした。
「これから一生をかけて、なにを仕事にしようか。」
「住宅設計」というやりたいことが明確になったのは
仕事を辞め、ゼロに戻り、自分と向き合おうと思って旅を始めてすぐのことでした。
建築から離れてみたはずが、気が付いたら建築のことばかり考えている自分に気付き、
「自分はこれが好きなんだ。」
と腑に落ちた感覚を今も覚えています。
↓当時のことをふり返った記事です。興味がありましたらぜひ。
【1月17日】「住宅設計のプロフェッショナルになる。」と誓った日。
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また、1月17日は阪神・淡路大震災が起きた日でもあります。
今から25年前の1995年、
淡路島北部を震源に最大震度7の地震が発生。
(1949年に「震度7」が定められてから初めての適用でした)
建物への被害が大きくなる周期1~2秒程の揺れが多く、多くの家屋が倒壊しました。
家屋の他にも、高速道路が倒れるなど、生活インフラにも多くの被害をもたらしました。
死者6千人以上、家屋全壊10万戸以上。
wikipediaより引用................
地震当日に死亡した5036人の76%に当たる3842人は地震から1時間以内に死亡しており、このうちの9割が圧迫死(圧死、窒息死など)だった。
多くは木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死したとみられる。
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※倒壊した家屋は旧耐震基準(1981年以前に建築された住宅)の家屋が多かったとされている。
阪神淡路大震災を契機に、建築基準法が改正。
(2000年)
引抜金物の設置、偏りのない耐力壁配置の義務化など耐震基準が高められました。
中越沖地震時の柏崎市東本町。
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震度7を観測したのはこれまで6回。
(2020.1.17時点)
阪神・淡路大震災
1995年1月17日
新潟県中越地震
2004年10月23日
東日本大震災
2011年3月11日
熊本地震(前震)
2016年4月14日
熊本地震(本震)
2016年4月16日
北海道胆振東部地震
2018年9月6日
どれも忘れられませんが、
実家の隣の市で起きた中越地震や、長期ボランティアに参加した東日本大震災は、体験と共に特に記憶に刻まれています。
そして、
震度7が連続して発生した熊本地震は、住宅の耐震設計思想を根底から考え直させられました。
被害状況の報告書を読み解き、
「自分の設計する家は耐震等級3を標準としよう。」
と考えを改めました。
中越沖地震で実家が被災し、修繕に多くの費用がかかることを体験していたのもきっかけになりました。
具体的には、下記の記事をご覧頂ければと思います。
【秘訣】構造計算された家を。「耐震等級3」を勧める理由。
『中越沖地震から10年』家を建てる上で最も大切なこと。
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家を建てる上で大切なことは何点かあります。
暖かさも大切。
建ててからかかる費用を事前に抑える設計も大切。
そして、耐震性。
耐震性は「安全」に対してもですが「被災後の修繕費用を抑える」というコスト的な観点でも重要なポイントです。
「どんな家が良い家なのか。」
個人的な解答も大切ですが、
「家は社会全体のものでもある。」
という観点で考えることも重要です。
それは、
建てた家を売る可能性もあるから。
そして、
売った後に別の家を買う可能性もあるから。
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「どんな家が良い家なのか。」
家は建てた自分よりも長く生きる。
そうなれる家を建てるべき。
「住を通してどのような豊かさを提案できるのか。」
真剣に考え続けることが、住宅設計士の使命だと考えています。
-「超高断熱の小さな木の家」escnel design-
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エスネルデザイン代表
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